カリフォルニアのチベット仏教

カリフォルニアのチベット仏教   


「空に鉄の鳥が飛び、地に鉄の馬が駆け巡る時、ダルマは赤い人の土地に渡るであろう」

 八世紀チベットに密教を伝えたインドの密教行者パドマサムバヴァはこう予言した。私の師、タルタン・トゥルク・リンポチェ(リンポチェとは師に対する尊称)は、この予言を託されるかのように、一九六九年に西洋に仏法を伝えるという菩薩の誓願を立て、一人アメリカに渡った。

 彼は、幼少のころニンマ派六大寺院の1つペユゥル・タルタン寺院の転生ラマとして認められ、十八年間の厳しい仏教教育を受けた。しかし二四歳の時、中国共産軍によるチベット侵略を逃れて、シッキムに亡命した。その後ダライ・ラマ亡命政府の要請により、インドのベナレスサンスクリット大学で教鞭をとることになった。
 彼が三五才の時、西洋へ仏法を流布するという師ジャムヤン・キェンツェ・リンポチェと交わした菩薩の誓願を実現させるためにアメリカに渡った。そこはまさにアメリカ・ネイティブ・インディアンが「赤い土地」と呼ぶ場所だった。

 仏法流布に燃えるチベット青年ラマ僧の回りには多くの学者、芸術家、若者が集まった。瞑想センター(Tibetan Nyingma Meditation Center)と学校(Nyingma Institute)が設立され、仏教経典を復刻する出版社(Dharma Publishing)、印刷所(Dharma Press)が作られた。
 七五年からは、西洋に西洋仏教の基盤となる本格的な寺院を築きたいというヴィジョンによって、北カリフォルニア山中にオディヤン寺院建築プロジェクトが始められた。オディヤン寺院は、チベットのマンダラ建築が初めて西洋に造られたものであり、その建築作業は全て西洋人の彼の弟子達によって手作業で進められてきた。

 タルタン・トゥルク・リンポチェがアメリカに築いた仏教の基盤は、そのまま西洋社会が持つ精神性の投影ともいえる。現代のアメリカは物質社会のストレスの中で出口を見つけられずに、多くの問題を抱えている。特に自由と欲望を限りなく肥大させてしまったアメリカ人にとって、彼らの最大の悩みは自らの自我を持て余していることなのだ。そんな中で先進的なアメリカ人の目には、仏教が自らの心を見つめ、自らをコントロールすることのできる仏教心理学の理論と実践として理解し、深く知識層の中に広がっているのだ。

 八四年、私は西洋人ばかりのオディヤン寺院に、初めての東洋人として入門を許された。西洋人との修行生活の中で、肥大した自我に苦しむ西洋人に対し、私は自我を確立することに苦しんだ。オディヤン寺院の修行仲間たちとの寺院建設作業を通して自らの心を見つめる実践は、時には激しくぶつかり、また時には心が解放される体験をした。そして私はインドでも日本でも出会うことができなかったダルマ(仏法)に、カリフォルニアの地で出会うことができた。仏教とは、自我を制御し自我を解放してゆく実践哲学だったのだ。

 タルタン・トゥルク・リンポチェは、社会の中でダルマを形に現してこそ、自我を乗り越えた菩薩としての価値があるのだと常々語り続けてきた。彼の教えは、まさにプラグマティズム(実践主義)や開拓者精神が根ざすアメリカの地に開花した結実である。その活動は、オディヤン寺院の完成、チベット大蔵経・蔵外経典の開版、そしてニンマインスティチュート学院での子弟育成と、手作りでアメリカに仏教の礎石を築き上げてきた。そして彼は、八九年からチベット仏教の復興を願い、ブッダガヤの菩提樹の元でのブッダガヤ世界平和セレモニーの主催を実現し、今もチベット仏教復興運動に力を注いでいる。


中日新聞1998/5掲載
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