心ある道

心ある道 ダルマが語りかけるもの

 チベット仏教の歴史を学んでゆくと、日本仏教の歴史と同じ背景を持っていることが分かり興味深い。六世紀、聖徳太子によって日本に仏教が伝播したように、日本とほぼ同時期、チベットにも仏教が伝播し時の王がこれを奨励した。また八世紀、空海が日本に密教を伝えた同時期に、チベットにも密教が伝わった。ただ、空海が伝えた真言密教がインド初期のタントラ密教に対して、パドマサムバヴァというインド密教行者がチベットに伝えたものは、インド後期タントラ密教という哲学的にも瞑想的にもさらに深まった金剛乗であった。そして鎌倉時代、鎌倉新仏教運動が興った同時期にチベットでも新仏教活動が興り、現在のチベット四大宗派が形成されるに至った。

 しかし江戸時代、日本は檀家制度の確立と共に仏教の活動が固定化され、その後ダイナミックな展開に至ることはなかった。一方、十八世紀からチベットでは、宗派の垣根を越えて仏教を学ぼうという活動が興り、教義的修行的に仏教体系がさらに深められていったのであった。この「リメッ」と呼ばれる超宗派運動の精神は現在でもチベット仏教修行者達に根付いており、彼らにとって求道心の強い支えとなっている。

 私の友人であるソナム・ギャムツォ(三十歳)は今、三年三ヶ月十日間誰にも会うことなく一人瞑想窟に籠もるという、ユルモという伝統的な瞑想修行に入っている。彼は以前より、多くの伝統的なヨーガ行者がこのユルモによって虹の身体という解脱を得たことに強い興味を持っていた。昨年末、彼は瞑想期間が満願したにもかかわらず、二度目のユルモに入った。ユルモは、チベット仏教の理論と実践を確実に体現できる期間であり、正しく行うならば必ずやある成果を得ることができる。彼のような強い菩提心を持った多くの青年修行者が、チベット仏教の明日を担っていくのだろうと、私は確信している。


 10年ほど前になるが、私はアメリカの寺院に日本の梵鐘を寄贈したいという誓願を立て、3年間かけて全国を歩き浄財を募る勧進活動を行ったことがある。その時、私は日本仏教の全宗派のお寺を回り、多くの僧侶の方々と対話する機会があった。大乗仏教本来の菩薩行をボランティア活動を通して実践しておられる方々、宗派の教えにこだわらず本来のインド仏教を学んでおられる方々、そして出家戒を正しく守り本来の出家僧の姿を厳格に相承し修行をしておられる方々。私は勧進活動を通して、現代日本仏教の中にも超宗派活動の動きや修行の姿があることを知り励まされる思いをしたのだった。このような方々は日本仏教全体から見ればまだわずかかもしれないが、とかく宗派仏教、葬式仏教と批判される現代日本仏教の新たな可能性を示しているに違いない。

 毎年インドを巡礼していると、多くの日本人旅行者に出会う。「インドに来て、日本では気付かなかった本当の生き方を知った。ここには人生にとって何が必要なのかを教えてくれるものがある」 彼らの声には、現代物質社会が見落としてきたものに気付いた、何か生き生きとした響きがあった。ブッダ自身も、一人の自由思想家(シャマナ)として、既成の生き方には満足せずに自分自身の道を求め、真の心の解放を得た。彼が求めた生き方は、歴史上数え切れないほどの人々の心を導いてきた。それは、民族の壁を越え、人として生きるための「心ある道」を示してきたのだった。



中日新聞1998/5掲載
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