ブッダガヤ世界平和セレモニーの祈り

二十一世紀という末法

 第十一回ブッダガヤ世界平和セレモニーが、二千年一月七日よりインドのブッダガヤで一万人のチベットラマ僧らによって行われた。私は毎年、その組織運営委員の一人として参加しているのだが、今年はアメリカのオディヤン寺院で製作された十八万冊の復刻版の経典を、インド中の全亡命チベット寺院に無償で配布する責任者の役目を負っていた。

 今年の平和セレモニーは、インドやアジアの将来に対しての何か特別な祈りのように思われた。二千年という新世紀がインディアンエアラインのハイジャックによって年を越え、新年早々のセレモニーの真っ直中には、カルマパ十七世のチベット亡命のニュースが伝わってきた。この二つのニュースは、二十一世紀のアジアと国際政治を理解するための重要な事件であったと思われる。

 そこには多民族国家インドが抱える問題、また緊張するアジア国際政治の要にあるインドの存在が見えてくる。ハイジャック事件は、カシミール問題の延長線上にある対イスラム問題の現れである。またカルマパ十七世の亡命事件は、五十九年に起きた中国によるチベット侵略に起因する。インド政府がチベット亡命政府を受け入れたことで、中国との関係性が複雑化した。西に対イスラム問題、東に対中国問題を抱えながら、国内ではタミール族分離独立問題などの国内民族独立ゲリラ運動が多発し、インドは様々な政治的問題を抱えている。

 私は、インドを取り巻く国際政治問題を深く考えるに付け、インドの真の平和はアジアの安定につながるのではないか、インドは世界平和の要としての鍵を握る重要な立場にあるのではないかと実感する。

 亡命チベットは国際政治に対しては余りにも非力であるかも知れないが、チベット仏教が守り伝える仏教哲学の中には「真の平和哲学」が今も現存すると、私は信じている。かつて、ガンジーが非暴力によって勝ち取ったインド独立は、深いインド哲学の理解に根ざすサッチャグラハ(真理の把握)の行動を、アヒムサ(非暴力運動)の徹底として行動した結実であった。真の平和は、深い精神哲学から生まれ、それは祈りと行動を通して世界を心ある道へと導く力を持っている。

 人類は世紀を重ねるごとに哲学や宗教という精神的価値ある生き方を忘れ、現代はまさに物質経済に価値を置く資本主義の時代である。しかし、チベット仏教が国をなくしても守り伝えようとしているものとは、この「真の平和哲学」という仏陀の深い智慧に他ならない。

 チベット人たちによって始まったブッダガヤ世界平和セレモニーに、今ではタイ、ミヤンマー、マレーシア、シンガポール、ベトナム、台湾、香港、韓国、またヨーロッパ諸国、アメリカから、民族を越えた仏教徒として参加する人たちが増えている。新世紀という末法に、彼らは一人の仏弟子として平和の祈りのともしびを奉献できる尊さとその歓びを感じていたに違いない。

 近年インド政府は、ブッダガヤという聖地の重要性を再認識し始め、尊い巡礼の地として祭典を行っている。それは、この地球上にある唯一の仏陀成道の地として、世界中の人々に対して心の安らぎを与える力がこの場所にあるからである。



中日新聞2000/4掲載
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