第十七回ブッダガヤ世界平和セレモニー

第十七回ブッダガヤ世界平和セレモニー


 二〇〇六年一月三十日から十日間、釈迦成道の地インドのブッダガヤで、チベットラマ僧ら約一万人による平和を祈る法要が行われた。八九年より師タルタン・トゥルク・リンポチェの呼びかけによって始まったブッダガヤ世界平和セレモニーに、私は当初より運営組織の一人として毎年参加しているが、今年は、チベット仏教講座を熱心に受講されている十二人の方々と共に、日本代表として公式に参加する深い仏縁を得ることになった。「仏陀が悟られた菩提樹の元でただ座るという行為がこれほどまでにも尊いことだと気が付かされました」とは、参加者の言葉である。


 二千五百年前に釈迦が悟りを開いたブッダガヤの地は、世界中の仏教徒のみならず、人類にとっての重要な聖地だという理解が深まり、〇三年には世界遺産として認定された。かつては小さな寒村であった地に今は国際空港が開港し、世界中から民族を越えた多くの仏教徒が巡礼に訪れている。また大塔周辺に埋まっている僧院遺跡の発掘調査や環境整備が少しずつ進められ、かつての古代インド仏教文明の復元に力を注いでいる。毎年集まる数万人の僧や巡礼者達による経済行為は、十数年の間に多くのホテルや商店等が軒を連ねるまでに発展し、将に門前市を為すが如くである。

 仏教史上「千僧供養」として尊ばれてきた法要が、仏陀成道の地で行われることの重要性もさることながら、国を無くした亡命チベット人達にとって自らの精神的拠り所を確認する大切な機会となっている。チベットは一九五九年中国共産軍の侵略を受け、ダライラマ以下約十万人以上のチベット人がインドへの亡命を余儀なくさせられた。それ以来インドに亡命政府が設立され、現在も亡命チベット人はインド各地の難民居住地で暮らしている。
 各々の亡命地で仏法の灯火を守り続ける彼らにとって、また中国領チベットからヒマラヤを越え命がけで参加するチベット人達にとって、年に一度、平和を祈るこの仏陀の足元の地は、とても深い意味を持つのである。

 十七年間法要を営む中で最大の変化は、高齢のラマ僧達が亡くなられ確実に世代が移り変わって来ていることである。故ケンポ・トゥプテン師は、かつて法要で再会する度にいつも私の修行を励ましてくださった。師は密教教学において最高の学識を得た大学僧として宗派を越えて尊敬を集めておられた方であった。
 また高齢のヨーガ行者の方々が遷化されたと聞く度に、私は深く心を痛める。彼らが得た高度の瞑想の境地、三昧の伝承は厳しい修行の成就故に、一度途絶えたならそれを復元することは困難である。だから、若い世代は一生懸命に瞑想修行を深め、仏陀の境地の意識を守り伝えることが重要だと言われている由縁である。

 今回、法要の玉座の中央に若いラマ僧が座しておられる姿を見た。彼はかつてのニンマ派の代表であったドゥンジュン・リンポチェの転生者だと伺い、私はびっくりした。十二年前の法要で、私は師タルタン・トゥルク・リンポチェの元にまだ五歳ほどの幼いドゥンジュン・リンポチェの転生者が訪問された場に同席していたからである。その時、師はその子を高々と抱き上げられ「将来の仏教を大切に護持して下されよ」と笑顔で語り掛けられたことを今も記憶している。その幼き子が今、立派な若きラマ僧として法要の導師の一人となり座しておられるのだ。

 法要のある時に、一人のラマ僧が私に笑顔で呼びかけてきた。彼は、二十年ほど前から私がある学問寺の若き僧達に学習費や食費等を援助していた学僧の一人であった。凛々しく法衣をまとった彼と私は思わず手を取り語り合った。彼は十数年に及ぶ仏教博士課程を満了し、今はエベレストの麓にある小さな尼僧寺院で密教教学を教える先生として暮らしているという。そして学問寺時代の仲間達も、今ではインドやネパール、ブータンの各チベット寺院で後学の指導に励んでいると話してくれた。

 チベット仏教の生きた歴史の真ん中に立つ時、仏法がまさに人から人への生きた伝承に他ならない事に改めて気が付かされる。仏陀の足跡は、混迷する世界にとっての重要な道標である。
 私達は、その道標を見失ってはならない。

DJR.jpg


中日新聞2006/4掲載
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。