転生ラマの亡命

 二千年の正月早々始まったブッダガヤ世界平和セレモニーの最中に、チベットからカルマパ十七世の亡命ニュースが届き、参加者全員がその知らせに驚かされた。なぜ、若干十五歳の若き転生ラマカルマパは中国領チベットからインドに亡命したのか? 中国政府はどのような反応をするのか? 世界中に亡命したチベット人達のこのような疑問は、亡命チベットと中国との深い政治的関係を抜きにしては語れない問題がある。 

 チベット仏教にはニンマ派、カギュ派、サキャ派、ゲルク派の四大宗派があり、各宗派の座主(リーダー)が精神的指導者の役目を果たしている。ゲルク派の座主は代々ダライ・ラマが、そしてカルマカギュ派は代々カルマパが座主としてチベット人の尊敬を集めてきた。中でも十三世紀にカルマパ二世は、初めて転生ラマとしてその法力を示した人物でもある。彼は自らの来世を予言し、前世の記憶を持って転生したのである。以来、チベット仏教思想と精神文化の中に転生者(トゥルク)の存在は深く浸透し、チベット仏教史的にもユニークな発展展開をしてきたのである。

 近年、転生者制度の問題が表面化したのは、パンチェン・ラマの転生認証問題であった。中国のチベット侵略後、北京に留まったパンチェン・ラマ七世が、八十九年に亡くなった。後に亡命政府のダライ・ラマはその転生者として九才の子供を見つけだした。しかしその直後中国政府は新たなパンチェン・ラマを認定し、ダライ・ラマが認定した子供をどこかに幽閉してしまった。この子の存在は、今に至るまで確認されていない。

 実は現在、パンチェン・ラマに限らず、ドゥンジュン・リンポチェ、カール・リンポチェ、そしてカルマパと、チベット人の深い信仰を集める故高僧達が、亡命チベット側と中国側に一人ずつ見つけだされている。これには、中国政府が中国領チベット人の信仰心を利用して、中国政府の傀儡として高僧の転生者を立てることで、宗教的政治的にチベット人を統治するためだと非難する声が強い。中国政府は数十年前から対チベット政策として、チベット内の寺院の宗教活動を制限している。それに対し、民主化や宗教活動の自由を求めるチベット人の声が各地で起きている。中国政府が独自の転生ラマを立てる意図は明確である。

 このような背景の中、カルマパはチベットに寺院や僧たち、また家族を残して密かにインドに亡命をした。私は九十三年にチベットを巡礼した時、転生ラマとして認定された直後の若干八歳のカルマパにお会いしたことがある。その聡明な顔つきと眼差しは今だに忘れることができない。ダライ・ラマが亡命して四十年以上が過ぎた今、チベットの新たな精神的指導者として多くのチベット人がカルマパに期待を寄せていただけに、さぞかし残された人たちは希望の灯火が消えたように感じているに違いない。

 最近亡命して来たチベット人達にチベット寺院の事情を聞くと、法輪功事件以来チベットの宗教活動に対する信仰の締め付けが強まり、民主化や宗教的自由を唱える僧達は監禁され、その寺院の閉鎖が相次いでいるという。私はこのような情報を聞いて、カルマパの亡命は自由な信仰活動を求めての致し方ない行動であったのではないかと考える。しかし衆生の苦しみを救うための菩薩である転生ラマが、国際政治の中に巻き込まれ利用されている事実を、一番嘆き悲しんでいるのはチベット人達ではなかろうか。

 ブッダガヤセレモニーで出会ったあるチベット亡命ラマ僧の言葉が印象的である。
「チベット人が中国の手の平の中にあるという事実は、私たちは我慢しよう。しかし、その手の平の中のチベット人や仏教文化を握りつぶしてはいけない」
 チベットの現実を言い表した真の声である。



中日新聞2000/4掲載
 
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