一服のチベット仏教仏画の行方

 毎年インドブッダガヤ世界平和セレモニーの参加を終えた後、私は必ずネパールを訪れることにしている。インドの喧噪に疲れた観光客を優しく受け入れてくれるカトマンドゥは、主たる基幹製造業を持たないネパールが国際外貨を得るために、観光産業が貴重な事業である。世界遺産に登録されたボーダナートやスワヤンブナートの仏舎利塔など、数々の宗教文化財の観光資源に併せて、カトマンドゥ郊外にあるパタン市の仏教美術伝統工芸職人の技は世界的にも評価されている。「セブンイヤーズ・イン・チベット」で世界的に注目されたチベット仏教は、ネパール国内の亡命チベット寺院のラマ僧らの活発的な仏教活動によって欧米人を始め、世界中の人々が魅せられている。

 しかし一方、首都カトマンドゥ以外のほとんどの地方山岳地帯は依然貧しい生活を強いられている。農繁期に収穫されるわずかな麦やジャガイモを食べ尽くすと、農閑期は飢えに苦しむ日々が続く。この首都と地方の経済格差に不満を持つ貧しい地方農民の間に、90年初頭から共産主義ゲリラが急速にその勢力を拡大してきた。十年以上に渡る過激な共産主義ゲリラの反政府活動によって、ネパール政権は常に不安定な政治にさらされてきた。そこに昨2001年の謎の国王暗殺事件が起きた。ネパール国内に漂う政治的不安感は極限に達し、観光産業に立脚するネパール経済は大打撃を受けている。

 ある日私は、なじみのタンカショップで一服の古い仏画を見た。それは伝統的な岩絵の具の顔料で描かれた、千手千眼観世音菩薩の曼陀羅画であった。中心に描かれた千手千眼観世音菩薩の周りには、本地阿弥陀仏を始め他の変化身や数々の護法神等が配され、とても古いが保存状態も良く、魂が入った貴重なものだと感じられた。店主の話では、その仏画は中国国境付近ムスタン近郊の西部ネパール山岳地帯の亡命チベット寺院のあるラマ僧から預かった仏画ということであった。ネパール山岳地帯に勢力を持つ共産主義ゲリラ達によって、現在各地のチベット仏教寺院が破仏、略奪にあっているという。そこで今だ被害を受けていない寺院の宝物の仏画や仏像、経典等を、ラマ僧たちが信頼できかつ安全な所に移し始めてると言うのだ。

 私が見たその一服の仏画は、中でもチベット仏教において歴史的文化価値を持つもので、現にカトマンドゥ郊外にあるウーギャン寺院の転生ラマ、チョキニマ・リンポチェはこの曼陀羅画の正確な複製画を制作し、その価値の保存伝承に努められた。私はチョキニマ・リンポチェとの長い交流に中で、彼の仏教経典や仏教美術の伝承と保存に対する並々ならぬ活動を知っている。精神的財産は、一度失われてしまえばその歴史的宗教的価値は二度と復元することはできない。アフガニスタンのバーミヤンの石仏も然り、このような破仏こそが人類の智慧の伝承と霊性の低下をもたらすのだと、また現在のチベット仏教自体がこのような危機的な状況に直面していることを彼は常々危惧している。

 一服の仏画が、現代チベット仏教史を語っている。なぜならこの千手千眼観世音菩薩曼陀羅画も又、1959年に中国共産軍のチベット侵入に会い、ヒマラヤ山脈を越えてネパール側に亡命してきた仏画だったのだ。そして今又、ネパールで勢力を持つ共産ゲリラに追われてカトマンドゥの街に逃れて来た。今現在、ネパール各地の亡命チベット仏教寺院で起きているこのような歴史的事実を、私たちはしっかりと目撃し、人類の精神的財産とは何かを深く認識しなければならない。


中日新聞2002/1掲載
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