チベットサムイェ寺院の法友

 先日、チベットのラサ郊外にあるサムイェ寺院で修行する友人、青年ラマ僧ペマ・テンジンから手紙を受け取った。それはインドのブッダガヤ世界平和セレモニーの様子を知りたく、風景と高僧たちの写真を送ってほしいという願いだった。

 彼は数年前に一度、チベット国境のヒマラヤを越えてブッダガヤに来ようと試みたことがあった。西チベットのカイラス山を巡礼し、その足で2カ月をかけて雪山のヒマラヤを歩き、命がけでネパールにたどり着いた。カトマンズに着いた時、運悪く警察に逮捕され、中国に強制送還された。そして、彼は2カ月間、牢獄に入れられひどい拷問を受けたという。

 1993年に私は、師タルタン・トゥルク・リンポチェと共にチベットを巡礼し、ラサや郊外の寺院を周り支援活動をしたことがある。ラサ市内の寺院は、現在中国政府が観光目的で多くの寺院を修復しているが、郊外の寺院は文化大革命で破壊されたままの瓦礫と化した悲惨な風景があった。サムイェ寺院に訪ねたのは、その時であった。サムイェ寺院は、日本でいうなら東大寺に当たるくらいの歴史と存在的価値を持つ、チベット最大級の立体マンダラ構造建築である。

 サムイェ寺院は文革時砲撃を受け、寺院上層部分の大半は崩壊してしまった。その後中国政府によって修復がなされたが、それは外観が整えられただけで内部は全くのガランドウであった。テンジンや友人僧たちは、破壊された貴重な仏像や経典の一部を見せながら、寺の歴史や口伝の教えについて語ってくれた。

 現在、チベットでは、密教の深い教えや瞑想を指導できるラマ僧は、極端に少なくなってきている。それは、多くの指導者がインド側に亡命をしただけではなく、共産軍侵攻時と文革時に多くのラマ僧が殺されてしまったからである。また、存命の貴重な法脈を受け継いでいる数少ない高僧は、今では高齢になられている。

 サムイェ寺院には、ツェリン・ワンギャル・リンポチェが密教の指導にあたられていた。しかし、私たちが着いたその数カ月前に、彼は他界されていた。彼とタルタン・トゥルク・リンポチェは法友であり、その知らせは深い悲しみとなった。テンジンは、病床のリンポチェを長くお世話していたので、彼が最後を看取った。

その時、テンジンはリンポチェから最後の口伝の教えを受けた。チベットでは最後の口伝を受けたものが法脈を継ぐとされるため、テンジンは若くしてツェリン・ワンギャル・リンポチェの後継となった。テンジンは今、口伝の教えを深めるため、三年三々月の正式な瞑想修行に入る準備をしている。

 チベット仏教では、経典の学習と瞑想の実践が重んじられる。老僧が次々と亡くなられている現在、テンジンのような若い法脈継承者の役割は益々重要となってくる。タルタン・リンポチェは、チベットでの経典が絶対的に不足していることを嘆き、カリフォルニアのオディヤン寺院で編纂したチベット大蔵経と蔵外経典を中国領チベットのいくつかの寺院に送ることを決意した。

 歴史上、チベットから経典を持ち帰った話はよくあるが、チベットに経典を持ち込むことはめずらしいことである。そして、多くの難問困難があったものの、船コンテナ四台分を送ることに成功した。また、亡命チベット僧をチベット内に派遣し、学習や瞑想指導を行なう体制を整えた。
 中国領チベットの厳しい状況は今も依然と変わらい。しかし、仏法のともしびを守り伝えようとする活動は今も続いている。



中日新聞1998/4掲載
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。